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「それなりに」やるべきことをやらないべき? 〜本当にやるべきことをやるために〜

 それなりに頑張っている人間ならば、怠慢、悪行、不毛な時間の使い方をしていることはあまりない。1日のだいたいの時間は「それなりに価値ある事柄」に対して時間を使っているものである。自分で言うのもなんだが、私もその1人だと思う。毎日読書やジム、新聞記事を読んだり、ブログを書いたり、「いろいろそれなりに価値がありそうな事柄」に時間を投資しようとしている。しかし、それでもやはり成し遂げられないことがあったり、時間が足りなくなってしまうことがあったり、自分の限界を感じることがある。そこでさらに頑張ろうとしていろいろやろうとすると、もう既に「それなりに価値ある事柄」が一日の器から溢れて出来なくなってしまう。
 なので、「それなりに価値ある事柄」を削って「とても価値ある事柄」に時間を投資したり、「それなりに価値ある事柄」の時間を短縮して「価値の密度」を高めるしかないのではないかと考えた。そこで私のここ数日の生活を振り返って価値密度の薄い時間、比較的価値の少ない時間を洗い出してみたら、以下の3つになった。
(1)集中力が低かったり、眠かったりする、価値ある時間(読書、ブログを書く、メールを書く、考察など)
(2)臆病さ、些細な事柄への恐怖、惰性などからやってしまう「過度の時間と労力」
(3)不毛な飲み会などの付き合い
 
 (1)に関してはまず、疲れた時に疲れをしっかりとる手段を用意するということ。例えば、足をマッサージしたり、仮眠を取ったりする。足つぼをマッサージするのに使える道具などを持ち歩くなども良い。あと、仮眠は30分以上寝ると逆に頭が働かなくなるので注意が必要。後はブログを書くにしても考察するにしても、雨の音を聞いたり、集中できるような場所に行ったり、時間を意識したりするなどの工夫をする。また、体を清潔に保たないと体がかゆくて集中力が落ちたりするので、風呂でちゃんと頭や体を洗ったり、自分に合ったシャンプーやボディーソープを使うことも重要だろう。
 (2)に関して、私は最近「恐怖に起因するモチベーションには従わないようにしよう」という考え方を持っていた。なぜなら往々にしてそれは、自分の本当にやりたいことに繋がることではないからだったからだ。しかしその考えは間違いだと考え直した。大目的は「バランスを取ること」、つまりいろいろな自分のいろんな側面がかみ合って、うまく歯車がまわっている状態にすることである。そのためであったら、モチベーションの根幹が恐怖だろうがワクワクだろうが関係ない。そういう考えで、その日やることの優先順位を決めるべきであると考えた。
 (3)に関しては、明らかに不毛だと思うもの以外は、引き続き参加した方がいいかなと思った。行ってみないとそれが不毛かどうかなんて分からないし、機会損失になることもあろう。
 
 しかしこのブログを書くのにも2時間以上かかってしまった。果たしてこの時間の価値密度は高かったのだろうか。。。 (150)